手指衛生モニタリングシステムにより収集・蓄積されたデータは、多方面へ活かせる可能性の宝庫。
名古屋大学医学部附属病院 メディカルITセンター 特任助教
大山 慎太郎先生
取材日:2020年8月4日(オンライン取材)
所属等は取材当時
─まずはじめに、手指衛生モニタリングシステム導入のきっかけについてお聞かせください。
大山:名古屋大学医学部附属病院(以下、名大病院)では、2017年より先進技術や情報通信技術を活用して医療に取り組む「スマートホスピタル構想」を掲げています。私が特任助教を務めるメディカルITセンターが中心となって技術開発や導入を推進してきました。
かねてから、医療事故につながるインシデントの報告は看護師からのものが多い傾向にありました。それは単に看護師の人数が多いからだけでなく、報告遵守率が高いからであるという看護師の素地があるからです。しかし看護師の業務には目に見えない部分も多く、業務記録だけでは全体を把握できません。そこで、IoTやAIなどの先進技術を用いて看護師たちの行動を把握して見える化することで、医療従事者の負担軽減やトラブルにつながるインシデントの防止につながるのではないかと考えました。そのために、看護師たちの位置情報を把握・追跡できるシステムとして導入したのが最初です。
─院内感染がもたらす損失を抑える効果にも、期待されたそうですね。
大山:はい。主疾患以外の感染症診療により常態的に発生している損失額は、年間推定11億円であるという試算データがあります(名大病院1,000床において)。ご存知のように、感染症と手指衛生の関連性は高く、手指衛生の遵守率が向上すると感染関連率が下がることがわかっています。この点においても、手指衛生を遵守し、それをモニタリングすることは非常に有用であると考え、システムの検証を決めました。
もちろん、遵守率が100%になったからといって、損失が0円になるわけではありませんが、外科手術部位感染やMRSA感染症の抑制には効果的であり、5億円ほどの損失防止につながると考えています。
─従来の手指衛生管理方法と比較して、手指衛生モニタリングシステムの優位性はどこにあるとお考えですか。
大山:手指衛生管理方法には「直接観察法」「使用量記録法」「質問票法」という3つの方法がありますが、名大病院では、WHOの推奨する5moments for Hand Hygieneの各項目遵守状況を確認できる「直接観察法」と、簡便で、世界的にスタンダードになりつつある「使用量記録法」を並行して行っています。しかし、こうしたアナログの方法では、観察の限界や記録ミスの問題、行動変容につながりにくいといった欠点があります。一方、手指衛生モニタリングシステムでは、以下のような利点があると考えています。
- 自動で記録するため記録もれを防ぐことができる
- 記録するための手間や時間を削減
- データが蓄積され、感染マネジメントの方針材料となる
- 記録されることが、手指衛生遵守を後押しする
導入に向けて2回検証をされました。1回目の検証の目的などについてお聞かせください。
大山:導入を前提に、現在行っている観察方法が手指衛生モニタリングシステムで代替可能かどうか検証したいと考えました。1回目では、「直接観察法」を手指衛生モニタリングシステムで代替できないかを検証しました。ICUスタッフも含め病棟スタッフ全員の記録をとって本格的に検証し、一部は手指衛生モニタリングシステムで代替できるという結論に至りました。また、この際に出た看護師の意見を反映して、消毒剤のボタンがより押しやすくなるようケアコムさんに改良してもらいました。
─2回目の検証では主に、遵守率の高い看護師をモデルケースとして設定するための検証をされたそうですね。
大山:はい。1回目の検証で、手指衛生の遵守率が60%以上だった看護師が2名いました。看護師たちのデータを詳細に計測して、遵守率が低い看護師との差分を探れば、遵守のために留意すべきことが浮き彫りになるのではないかと考えました。皆が、その「モデル看護師」となることを目指せば、病棟や病院全体の遵守率の底上げにつながるはずです。
ただ、手指衛生遵守が感染率を低減するという因果関係をデータで裏付けるには、より大規模にシステムを導入して実証していく必要があるでしょう。そのためには、中央感染制御部(※)との連携が不可欠です。新型コロナウイルス感染症の影響が落ち着いた際には、手指衛生モニタリングシステムを複数の病棟に拡大して前向きに検討したいと考えています。
※感染症診療支援と感染管理を一手に引き受ける、名大病院独自のスペシャルチーム
─新型コロナウイルスなど感染症の拡大防止において、手指衛生モニタリングシステムに期待されることは何ですか。
大山:先にも述べたように、感染症と手指衛生の関連性は非常に高く、手指衛生の遵守を自動でモニタリングすることには大きな意義があります。
また、新型コロナウイルスに感染している人の管理だけでなく、例えば、手指衛生モニタリングシステムで集約したデータからその人の行動を追うことで、精度の高い「曝露マップ」のようなものが作成できるでしょう。これは、新型コロナウイルスに限らず他の感染症の場合も大変有用です。さらには、PCR検査をするべき対象者の範囲なども、データを拠り所にすればより的確に対処できるでしょう。
─手指衛生モニタリングシステムには、感染症拡大防止の枠を超えた“新たな可能性”も感じるということですね。
大山:そうですね。安全のためのデータログを蓄積しているようなものなので、職務上の手順を遵守しているかどうかの証明にもなるでしょう。万が一、院内でインシデントが生じたときにも、担当看護師はどこで何をしていたのかなどを明らかにでき、看護師の保全や安全管理に役立ちます。さらには、看護師の日々の動きをデータ分析することで、効率的な人材配置を検討する材料にもなるでしょう。
モニタリングシステムの活用は、院内感染対策以外でも様々な面に変革をもたらす可能性を秘めているのではないでしょうか。
名大病院では、手指衛生モニタリングシステムを導入して、2020年春より病院全体の目標を可視化する取り組みをスタートさせる計画でした。新型コロナウイルスの影響で休止となっていますが、近い将来、始動させる予定です。手指衛生遵守が感染抑制につながるというエビデンスを私たちが導き出す、という使命感を持って取り組みたいと思っています。
Point
目指すべきモデルケースを設定することが
手指衛生遵守率の底上げにつながる